オカダアイヨン

オカダアイヨン のサステナビリティ

オカダアイヨン

オカダアイヨン のサステナビリティ

会社情報

History of OKADA AIYON

昭和前半

 オカダアイヨンの創業は、昭和13年、故 岡田農夫(たつお、号は白雲)が、今の国立文楽劇場の隣にオカダ鑿岩機営業所を開業したのが始まりです。しかし、その後は戦争の激化するなか、戦災により閉店。やがて、日本は敗戦し、終戦後の闇市時代という暗い時代が続いたのでした。そんな混乱のなか、昭和20年後半、当社はカバン一つで再び業務を開始。自転車で大阪市内はもとより、尼崎、堺に至るまで走り廻ったものでした・・・。

 その後、日本も次第に復興を遂げ、荷物の配達も三輪バイクから四輪トラックへと移り変わりました。一方、この頃の鑿岩機は、ほんの一部に電動式があったものの、ほとんどが圧縮空気動のものでした・・・。

 また、当時の取引先は、帝国鑿岩機製作所(現テイサク)様、東洋工業(当時)様、日本ニューマチック工業様、等々14社以上にものぼり、多種多様な「鑿岩機」「ブレーカ」「エアーコンプレッサー」を取り扱うことによって、幅広い勉強をさせていただきました。

昭和後半

 やがて、高度成長期といわれる30年代、40年代に入ると、当社も少しずつ力を蓄えて家業から企業へと脱皮。昭和35年には他社との共同で、わが国初の大型エアーブレーカIPH-400通称 “アイヨン”1号機を完成させました。また、この年の9月には、株式会社としてもスタートを切ったのです。40年代に入ると、アイヨンが加速度的に売れ始め、皆様方からの多様なニーズにお応えすべく、200型、600型、1000型と、小さいものから大きなものまでシリーズで開発するにいたりました。さらに、より高性能で静かなエアーブレーカ、ブルーアイヨン(BB)を帝国鑿岩機製作所(現テイサク)様と開発したのも40年代でした。

 日本の高度成長にとって象徴的な出来事といえば、昭和45年の大阪万国博覧会です。オカダのアイヨンは、この万博でも千里丘陵の会場跡地の破砕に数多く使用されました。また、わが社が油圧ブレーカを日本で初めて輸入したのもこの頃のことです。当時の私共は後年、このアメリカの機械を販売するとは想像もつきませんでした。ましてや、将来、私共が油圧ブレーカを米国をはじめ世界の各国に、大量に輸出することになろうとは・・・。

 それはともかく、好景気に湧いた日本経済も、昭和48年のオイルショックを契機に下降線をたどることになり、建設および建設機械業界も、昭和61年の景気回復まで厳しい冬の時代へと突入したのでした。

平成初期

 そして、時代は昭和から平成へ。わが国は世界の経済大国へと成長しましたが、その反面、日本の輸出増大は貿易摩擦を生み、内需拡大を主導とした経済を余儀なくされるようになりました。このため、緊急の対応としてわが国の社会資本の充実が叫ばれるようになりましたが、一方で24時間の国際空港や本四架橋、各地のウォーターフロントの充実、道路、鉄道、住宅の整備、下水道の完備、公園やリクレーションゾーンの拡充など、やらなければならない仕事が山積みしていました。

 こうした時代背景の中、当社商品に対するニーズの高まりに対応すべく営業所の増強を行うとともに、優秀な人材を確保して、より選ばれる会社を目指し、平成4年には大阪証券取引所第二部に上場しました。

 平成7年に発生した阪神・淡路大震災では、近畿広域にかけて甚大な被害が発生しました。ビル・道路・鉄道等、多くの建築物やインフラが損壊したなか、復興活動の先駆けとして、当社商品もお役に立つことができました。

平成中期

 輸出産業全体が好転し国内経済は好況期を迎えました。また、社内LAN・インターネットの発達に伴い、販売管理システムの大幅な進歩があったのもこの時期です。

 平成10年代に入ると、全国的な新規出店を継続して販売力を強化すると共に、平成14年には製造拠点「株式会社アイヨンテック」を設立し、後に日本の解体工事におけるスタンダードとなる「TS-W シリーズ」の販売を開始しました。

 さらに同年、海外展開増強を目指して米国現地法人「Okada America,Inc.」も設立しました。

平成後期

 平成20年代はアメリカのサブプライムローンを引き金に、世界経済は混沌とした時代を迎えました。当社も大幅な売上減少を余儀なくされましたが、組織の大幅な改編、徹底した経費の見直しなどを行い、厳しい環境を乗り越えました。

 続く平成23年に発生した東日本大震災によって、東北地方は津波による大きな被害を受けましたが、大量の土砂・流木を処理するにあたり、当社の木材破砕機をはじめとする商品が、がれきの除去等の作業で、お手伝いをさせていただくことができました。

  平成25年には東京証券取引所第二部に上場するとともに、全国へ一早く修理部品をご提供する為の部品センターを大阪に整備。平成27年以降は再開発需要の旺盛な首都圏を強化する為、直轄営業を行う東京オフィス設置、横浜営業所の開設も行いました。

 そして平成28年3月には東京証券取引所市場第一部に指定替えを致しました。直後の4月には熊本地震が発生し、木造家屋を中心に多くの被害が発生しましたが、ここでも復旧工事等にお役立て頂きました。

 翌29年には株式会社南星機械、株式会社南星ウインテック、暁機工株式会社をグループ化し、林業機械や鉄スクラップ用機械等、取り扱う商品ラインナップも大幅に増えました。

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